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## 奇妙な香りと、背を向ける後輩

「えー、つまり、この新しいプロジェクト、結構大変そうなんだよな。」

会議室に響く上司の声は、どこか疲労感を帯びていた。僕、佐倉悠斗は、資料に目を落としながら、頷くふりをする。実際、内容は理解していたが、それよりも僕の注意を引いていたのは、斜め前の席に座る、後輩の美咲のことだった。

彼女は、入社して一年になる、明るくて仕事熱心な女の子だ。しかし、最近、彼女の様子がおかしい。いや、「おかしい」というよりは、僕に対する態度が、妙に「背を向ける」ようになったのだ。

最初は、偶然だと思っていた。資料を渡そうとしたら、彼女はくるりと背を向けていた。質問しようと声をかけたら、彼女はなぜか、僕の方に背を向けて作業をしていた。それが何度か続くと、さすがに「あれ？」と思い始める。

そして、今日の会議。彼女は、僕と少し離れた席に座っていたのだが、僕が資料に目を落とすたびに、彼女は意識しているかのように、背を向けるのだ。まるで、僕の視線から逃れるように。

「佐倉君、どうした？集中できてないぞ。」

上司の声に、ハッと我に返る。

「いえ、大丈夫です。少し考え事をしていただけです。」

僕は慌てて資料に目を戻す。しかし、頭の中は、美咲の背中ばかりがちらついていた。

昼休み。僕は、いつものように一人で弁当を食べていた。すると、彼女が僕の席に近づいてきた。

「佐倉先輩、お弁当、美味しそうですね。」

彼女の声は、いつも通り明るい。しかし、彼女の顔は、僕の方を向いていない。彼女は、僕の弁当箱の斜め後ろあたりに立ち、僕の弁当箱を覗き込むようにしている。

「あ、ありがとう。美咲ちゃんも、いつも美味しそうだね。」

僕は、何となく言葉を濁す。彼女のこの「背を向ける」行動は、もう日常茶飯事になっていた。

「あの、先輩。もしよかったら、今日、仕事終わった後、少しお話しませんか？」

彼女は、まだ僕の顔を見ないまま、そう言った。

「え？どうしたの？何かあった？」

「いえ、別に…ただ、ちょっと、聞きたいことがあって。」

彼女の声には、微かなためらいが感じられた。

「わかった。じゃあ、いつものカフェでいい？」

「はい、お願いします。」

彼女はそう言うと、すぐに踵を返して、自分の席に戻っていった。その背中を見送りながら、僕は、何が彼女をそこまでさせるのか、ますます分からなくなっていた。

仕事が終わり、僕はいつものカフェへと向かった。約束の時間より少し早く着いた僕は、窓際の席に座り、コーヒーを啜りながら待っていた。

やがて、ドアが開く音がして、彼女が入ってきた。彼女は、周りをキョロキョロと見回し、僕を見つけると、少し戸惑った様子でこちらに歩いてきた。

「先輩、お待たせしました。」

彼女は、僕の向かいの席に座った。しかし、やはり、僕の顔をまっすぐに見ることはしない。膝小僧をさすりながら、指先を弄んでいる。

「ううん、大丈夫だよ。で、聞きたいことって何？」

僕は、優しく尋ねた。彼女は、ゆっくりと顔を上げ、しかし、僕の目ではなく、僕の肩のあたりを見た。

「あの…先輩って、最近、何か変わったこと、ありましたか？」

「変わったこと？うーん、特にないけど。仕事は相変わらずだし、プライベートも別に。」

僕は、彼女の質問の意図が掴めない。

「そうですか…」

彼女は、再び俯いた。沈黙が流れる。カフェのBGMだけが、静かに響いていた。

「あの、先輩。もしかしたら、私、先輩に、何か、嫌なことしちゃいましたか？」

彼女の声は、弱々しかった。

「え？いや、そんなこと全然ないよ。美咲ちゃんは、いつも頑張ってくれてるし、感謝してるくらいだよ。」

僕は、率直にそう答えた。彼女は、僕の言葉に、少しだけ顔を上げた。しかし、すぐにまた俯く。

「でも、先輩、私…」

彼女は、言葉を詰まらせた。そして、突然、彼女の目から涙が溢れ始めた。

「え！？美咲ちゃん、どうしたの！？泣かないで！」

僕は、慌ててティッシュを取り出し、彼女に差し出した。彼女は、ティッシュを受け取りながら、泣きじゃくっていた。

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

「謝る必要なんてないよ。一体、何があったの？」

彼女は、しばらく泣き続けた後、ようやく落ち着いた。そして、震える声で、ゆっくりと話し始めた。

「あの…先輩、私…先輩のこと、ずっと、見つめてたんです。」

「見つめてた？」

「はい。仕事中も、休憩時間も、先輩のことばかり見てました。それで…」

彼女は、再び顔を伏せた。

「それで、どうしたの？」

「それで…先輩、私、先輩に、すごく…すごく、惹かれてるんです。」

彼女の告白に、僕は息を呑んだ。まさか、そんなことだったとは。

「え…」

「だから、先輩の顔を、ちゃんと見ることができなくて…もし、私の気持ちに気づかれたら、どうしようって…怖くて…」

彼女は、顔を上げ、今度は僕の目をしっかりと見て言った。その瞳は、涙で潤んでいたが、強い意志を宿していた。

「だから…いつも、先輩に背を向けて…その、あの、先輩の顔を、直視できないように…」

彼女の言葉は、途切れ途切れだった。しかし、その意味は、僕にはっきりと伝わってきた。

彼女は、僕に好意を抱いてくれていた。そして、その気持ちを隠すために、意図的に僕に背を向けていたのだ。

「美咲ちゃん…」

僕は、彼女の言葉に、ただただ驚いていた。そして、少しの戸惑いと、そして、微かな高揚感を感じていた。

「あの…先輩。やっぱり、私、先輩のこと、迷惑でしたよね…」

彼女は、そう言って、さらに俯いた。

「いや、そんなことないよ。」

僕は、彼女の言葉を遮った。そして、ゆっくりと、彼女に近づいた。

「美咲ちゃんが、俺に背を向けてたのは、俺に好意を持ってくれてたからなんだね。」

彼女は、顔を上げた。その瞳は、驚きと、そして、期待に満ちていた。

「はい…」

「俺も、美咲ちゃんのこと、ずっと気になってたんだ。」

僕は、そう告げた。彼女の顔が、みるみるうちに赤くなる。

「え…？」

「だから、もう、背を向けなくていいよ。俺の顔、ちゃんと見て、話して？」

僕は、優しく微笑んだ。彼女は、ゆっくりと顔を上げ、今度は、僕の顔を、まっすぐに見つめた。その瞳は、輝いていた。

「はい、先輩…」

彼女の声は、もう震えてはいなかった。そして、彼女の口元には、今まで見たことのない、最高の笑顔が浮かんでいた。

その夜、僕たちは、それからしばらく、お互いの気持ちを確かめ合うように、ゆっくりと、しかし、熱を帯びた会話を続けた。彼女が背を向けていた間、僕が感じていた切なさは、今、温かい安堵感に変わっていた。

彼女の奇妙な行動の裏には、こんなにも切なくて、そして、愛おしい理由があったのだ。

これから、僕たちの関係はどうなっていくのだろうか。まだ始まったばかりの、新しい物語。彼女の、そして僕の、未来が、ほんのりと明るく照らされたような気がした。

カフェの窓の外では、星が瞬いていた。まるで、僕たちの新しい始まりを祝福しているかのように。